他者がいなければ人は生きて行けない

人間は得てして独りよがりになるものであるが、 「人は他者がいなければ生きていけない」人間は社会的な生き物である。

人間は、自分の生存や幸福に必要なものをすべて自分で用意することはできない。

食品や衣服や住居など物質的なものはもちろん、愛や友情、教育や文化などの精神的なものも、他者との関係や協力や交流なしには得ることができない。

人間は、他者とのコミュニケーションや共感や承認を通して、自分のアイデンティティや価値観や目的を形成せて行く。

人間は、他者との対話や競争や協力などを通して、自分の能力や知識や創造性を発展させて行く。

人間は、他者との衝突や協調や調和を通して、自分の倫理や道徳や正義を確立して行くものである。

人間は、他者との喜びや悲しみや苦しみを通して、自分の感情や感性や人間性を豊かにして行く。

したがって、「人は他者がいなければ生きていけない」ということは、人間は自己の存在や幸せを他者との関係の中で見出すということになる。

もちろん、人間は本来孤立しているものであるが、それは他者との関係の中での孤立あり、他者から完全に切り離された孤立はありえない。

人間は、他者との関係の中で自分自身を見つめ直し、自分自身を高めようとするものである。そして、他者との関係の中で自分を表現し、自己実現することを期待する。

このように、「人は他者がいなければ生きていけない」ということは、人間が社会的な存在であるということの根本的な意味を示している。

〈人間は他者との関係の中しか、自分の人生を生きていくことはできない。〉

老と死

人間には、大きく4つの苦しみがあるという。

  • 生きるくるしみ

  • 老いるくるしみ

  • 病むくるしみ

  • 死ぬくるしみ

この内、生と老と病は体験することがあり得るが、死だけは体験することができない。
しかし、老いが深まると、寿命を感じるとともに「死」を意識することが多くなるものである。
人はなるべく自己の「死」を感じたくないものであり、その恐ろしさから逃れるために、あえて自己を煩瑣な日常に追い込もうとすることがある。
しかし、あえて「死」を意識することで、逆に日々の生活に充実感を得ることができるのではないだろうか。

死を意識する価値)
死を意識することで、以下のようなことが得られると思う。

  • 人生の有限性を実感する

  • 価値観や優先順位を見直す

  • 人生をより充実させる

(人生の有限性を実感する)
死を意識することで、人生の有限性を実感することができる。
人生は有限であり、いつか死を迎えるということを意識することで、日々の生活をより大切にすることができるのではないだろうか。

価値観や優先順位を見直す)
死を意識することで、価値観や優先順位を見直すことができる。
自分の人生で何が大切なのか、何を成し遂げたいのかを考え直す。

人生をより充実させる)
死を意識することで、人生をより充実させることができるのではないだろうか。
限られた時間の中で、自分が本当にやりたいことや、大切な人と過ごす時間を大切にすることができる。
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死は、誰もが避けることができない宿命である。
しかし、死を恐れずに、あえて意識することで、日々の生活に充実感を得ることができるのではないだろうか。
死を意識することで、人生の有限性を実存として実感し、これまで気づかなかったことを感じとり、真の価値観や気にかかることの優先順位を見直すことができるのではないだろうか。
そして、限られた時間の中で、自分が本当にやりたいことや、大切な人と過ごす時間を大切にすることができるできるように思う。
死を意識することで、終局において真の生を味あうことができるような氣がする。